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「君の名は。」を見てよさがわからないといわれたことへの返事

世間の盛り上がりをときたまメディアからひろいつつ、予告編をみて抱いていた期待を胸に見るタイミングをみはからっていた矢先、「どこがいいのかわからなかった」という感想をきいた。


アニメを見るとか意識せずに見る程度にアニメという文化が日常なのでそれが映画になったところで別に特に意識しないし、見たいとおもったら見るし、そう思わなければ見ない。
「君の名は。」はいつだか忘れたけれど何かを映画館に見に行ったときに予告編をみて、とても見たいとおもった。いまやっと見て、見てよかったとおもっている。


そして同時に「この作品がよいとおもってくれる世の中なんだな、いまは」というのを改めて感じた。決して作品を貶めているわけではなくどちらかというと面倒くさい卑下なのだが、いってしまえば学生時代から自分は漫画とアニメとそれらをとりまくあれこれに自ら進んで囲まれてきたわけで、でもその当時はいまみたいな「わかるわかる、わたしも見てるよ」みたいな文化の許容はもっとずっとなくて(当時もあったけれどほとんどなくて)、もっとずっと隠してあるものだった。とおもう。


それらが垣根を越えてきたのは自分の知る限りではニコニコ動画がきっかけで、これまで決してメジャーラインに浮上しなかった(浮上させなかった)2次元という囲った世界に現実世界が接続されて、それが1つの”立派な”文化と認められた。名前がないものに名前をつけたら流行り始めたみたいな感覚にちょっと近いと勝手に感じている。


そうしてもうそれが認められ当たり前になった昨今においてだからこそ、「君の名は。」はこんなにも受け入れられているのではないのだろうか。これが15年前ならそれらが好きな人たちのなかでとてもとてもよい評価を得て名作として楚々と語り継がれるけど興行収入150億なんて結果をだしてはいなかったのではないかと考えを巡らせてみたりする。


だからこそ、この作品をみて「よさがわからない」といった人のきもちはとてもよくわかる。その人の感覚が変わっていないので(もともとアニメも漫画も興味が15年前からいまに至るまで微塵もない人なので)、なるほどこれはあなたにはあわない映画だねというのが冒頭の感想に対する返事だ。こちらからすれば、そんなの見る前からあなたにあわないなんてわかりきってるのによく見に行ったよねというところで、じゃあなんでそもそも見に行ったのかというはなしだが、評判がよかったから誘われて行ったとただそれだけのことだった。


また自分自身はとても見てよかったとおもっているしディスクで出たらまた見たいともおもうけどでも決して人に勧めることはしない。いやできない。なぜなら見ると当時のことを、学生の頃考えていたことを思い出させられて節々が痛い。日記を音読されているみたいなきもちになる。決してあんな青春をおくっていたとかではなくて、ああいう入れ替わりだとかが彗星とか宇宙的何かによっておきたりするんじゃないかと真剣に妄想していた青臭い記憶が掘り起こされるのだ。うわあああそれしってるやめてえええみたいな痛みを伴いながらできる限り表にださずに笑顔で作品としての素晴らしさに拍手をおくれる人になれるかどうかの瀬戸際だ。
どこかのインタビューで監督に「こんな素敵な話をおもいつくなんて、学生時代はどんな恋愛をしていたのか」なんて質問があったらしいと小耳にはさんだが、いやいやいやいやいやいやいや。だからつまりこれを考えつくってことはだよ?ね?と、この質問をなげた人に質問するときは前後左右の方向確認をしてから進んでくださいお願いしますと伝えたい。