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30歳になった日、20才の自分からの手紙を読んだ

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30歳を迎えたのは日本と時差が17時間あるロサンゼルスだったので日本時間とロサンゼルス時間とのどちらで日付を考えればいいのか悩ましくはあったが、どちらの場所でも誕生日になった数時間の間に20才の頃にいまの自分へ向けた手紙をひらいた。



20才のときに何故10年後の自分へ向けた手紙を書いたかといえば、12才の自分から20才の自分へ手紙が送られてきたことがきっかけだった。
小学校6年生のときに学校で「20才になった自分へ手紙を書く」という授業があり、そのとき書いた手紙を担任の先生が大事に預かっていてくれて、成人式直前にそれが届いたのだ。
手紙を書いたことなんてすっかり忘れていたので、とても驚いた。と、同時にきちんと送ってくださった先生に感謝した。


20才の頃、とてもとてもどうしようもなく苦しいおもいをたくさんしていたような気もするし、相変わらず能天気だったような気もする。
そんな頃に小学生だった自分からの手紙を読んで、感じいることがあったので「30才の自分へ手紙を書こう」とおもった。


おもったところで今度は誰かに送ってもらうわけにも行かないので、自分で保管することになる。とてもなくしものが多いのを自覚しているので、迷いなくパソコンでテキストエディタを開いて手紙を書いた。そしてパソコンが壊れてもなくならないように、そして忘れないように当時つかっていたYahooブリーフケースというクラウドストレージにアップした。



月日がたって使うストレージもかわり、一応まるごとコピーしたデータがストレージ内にあるはずだという確信はあったけれど、もしかしたらデータが壊れていたり、なくなったりしている可能性もあるとおもっていたが、あえて確認はしなかった。


そんなふわふわとしたデータの波にもまれて20才の自分からの手紙は無事、自分に届いた。
「30才になった自分へ.txt」というデータのタイトルを見て、とても懐かしい気持ちになる。そういえばこの頃は 歳 の字が好きでなくて 才 を使っていたなぁ。


手紙には、書いた当時のことや書いた頃に30才になった自分へ聞きたかったことがつらつらと並べられていた。
これを書いた当時はしばらく鮮明に内容を覚えていたなということもおもいだした。一体いつから忘れていったんだろう。


また手紙は聞くばかりではなくお小言も含まれていた。
自分たちは昔から大人になりたくないとおもっていたので、昔の自分のがえらいという絶対の掟がある。だからこそ「いまが前の自分に謝ることなく生きているか」は人生の道標であり、それに向き合えているかということについてのお小言だ。
そこには変わらずに頑張れていることもあれば、きちんと出来ていないことも書いてあった。それに対して励ましの言葉もあればダメ出しの言葉もあり、10年前の自分に救われもしたし、もっとやっていけるという意志を新たにすることもできた。


また10年前の自分が想像していなかったようなことがこの10年の間にあり、その1点については未だに消化しきれていないし10年前の自分には間違っても伝えたくないことで、それを知らない20才の自分からのなんでもない質問がどうしようもなくつらかった。そして、うらやましかった。


読み終えてからしばらく10年前のことに思いを馳せて、そしてテキストエディタを立ち上げた。30歳の自分から40歳の自分への手紙を書くために。
書きたいことは山ほどあるようにおもえるし、書けば書くほど足りないようにもかんじられるが、その頃は朝方で次の日も予定が朝から決まっていたので時間を区切って書きあげた。
なんだか書き忘れていることがたくさんあるような気がするけれど、自分はいつもいつでもそんなもんだ。それくらいだからたぶん、もっとできるような気がすると思い込んで色んなとこに行ってみるんだろう。



一応、忘れないようにスケジュールに設定でもしておこうかなとおもうけれど、万が一10年後の自分がどうしようもない体たらくでこの手紙のことを忘れていたときは、思い出せよ!ということでこの記事を残しておく。