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文字で書く言葉は話す言葉とちがうし、それを受け取る側によってもちがう

いま読んでいる「書店ガール2」という本の中で以下の文章が気になったのと、ここのとこ思っていることがあったのでなんとなく書いてみます。
※本筋とは関係ない文章部分なので本もぜひ読んでみてください。

その問題とは、つい半年ほど前に起こった出来事だ。
(中略)
ライトノベルの中で土方という言葉が用いられ、人々の嫌がる職業のたとえとして使われていたのだ。これは明らかに差別的な表現である。経験のある担当編集者であればすぐに気づくことであるが、あいにく入社したばかりで知識も経験もない編集者だったこと、さらに作家が意固地な性格だったことが問題をこじらせた。


この本は、本屋で働く2人の女性について書かれた本で、本好きとしては本屋さんのお仕事裏的なものが読めてたのしいです。
それはさておき上記の文で何が気になったかっていうと、「知識も経験もない編集者」だったから「明らかに差別的な表現」であることもわからなかった、ってとこ。


文字って基本的に形に残るのでつっこまれやすいものなんだけど(形に残るとなぜにつっこまれやすいかというと、反芻・咀嚼して意味を拡大解釈しやすくなるから)、それって経験だったり知識でしかわからない部分もある。
「これをこういう風に書いたらこう思う人がいる」っていうのを、特に仕事でユーザー向け(取引先でもそうだけど)に書く場合は、あらゆることを想定して(過去にだしているお知らせや利用規約をなめて)書くようにしている。
また自分とこのサイトやサービス以外の同じ系列のサービス、強豪大手なんかはまるっと一通り目を通して、それから初めてユーザー向けに告知を出したりしているのだけど、まぁ別にそこまでやらなくても、わかる人はいいとおもう。


ただ最近サービスにかかわり始めてユーザーに接することになった人で結構多いなぁと思うのが、「それでいいかわからない」のに「自分がいいとおもうからいい」という文を作ること。まぁ文に限らないのだけれど、ここに限っては文の話で。


「お知らせの内容こんなかんじでいいですかね?」って聞かれて内容みると、よくあるパターンがこの3つ。

  1. 限定的な言葉(知っている人しか知らない言葉)を使っている
  2. 友達に書くような言葉になっている/仰々しすぎる
  3. 誤解をまねく言葉を使っている


それで気になって「ココがこういう風に書かれているけど、こういう風に思う人もいるから、○○○みたいにした方がいいですよ」とツッコみいれたりすると「そんなに気になる人いますかね?自分は気にならないんですけど」と、言われることも多い。
いや、ちょっとまて。これは一体なんのためのダレ向けに書いている文章なんだ。おまえがおまえに充てたラブレターか。そんならどうでもいいからなんでも書け。ちがうだろ、これはサービスを使ってくれてるユーザー向けの文章なんだから、おまえがどう思うかは関係ないだろー!と、短気な自分は思うわけです。
よく「自分がされて嫌なことはするな」みたいな教えがあるとおもいますが、そんなんは当たり前で、逆に「自分がされて嫌じゃないからって相手も嫌じゃないと思うな」というのは、特に誰かに何かを提供しているときに意識しなければならないことなんじゃないでしょうか。
サービス提供論を語るつもりはないけれど、とはいえ色んな表現ができる日本語だからこそ、そしてそんな何時間も手間になる作業ではないのだから、形に残る文章はもうちょい考えて書いてみようねーと遠回しに伝えている自分の想いが届いているといいなぁ。


もちろん自分もまだまだ経験十分というわけでもないので、色んなものを見て聞いて読んで、修行がんばります。